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2008年9月29日 (月)

苅藻大気観測所お披露目会開かれる

Photo_3          35 2年間にわたり大気を観測してきた「苅藻大気観測所」が役割を終え、神戸市から真野地区に移管されたことを記念し、928日(日)そのお披露目会が行われました。川本勝太郎長田区長をはじめ、環境局井上成人次長ほか行政と当時公害問題でもご協力いただいた三ツ星ベルト㈱神戸事業所の保井剛太郎所長と地域住民ら100人が参加し、神戸市から正式に観測所の鍵が手渡されました。

真野地区40年のまちづくり活動の原点である「公害追放運動」の生き字引ともいえる「苅藻大気観測所」を真野地区の歴史的文化遺産第1号となずけ、今後のまちづくり活動の礎とすることを、まちづくり推進会は確認しました。

田中節子推進会代表は、

「真野地区まちづくりは、40年を越える「日本最長のまちづくり」と高い評価を頂いておりますが、私たちの先輩である毛利芳蔵さんが公害追放運動を始められたのが、その原点でございます。

 公害追放運動から住民主体の再開発、そして13年前の阪神大震災復興活動、2年前の暴力団組事務所追放運動とすすめてまいりましたが、これは「自分たちのまちは自分たちで守る、自分たちのまちは自分たちでつくる」という毛利さんの思想をみんなで引き継いでいるわけでございます。

そういう意味でも、神戸市さんから移管されました、この「苅藻大気観測所」を私たちの運動の原点として大切に管理していきたいと思います。」と挨拶されました。

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(資料編)

1.苅藻大気観測所とは

環境局では、公害が深刻であった昭和43年から昭和44年にかけて、公害問題に対応すべく、テレメータによる大気汚染常時監視網の整備を開始した。当初、長田大気監視局(長田区役所)を含む6局で大気の連続測定を始め、昭和46年には1区に1局測定局を配置するとの方針により、兵庫南部局を設置した。昭和40年代当時は、兵庫区、長田区の南部に大型の工場が集中しており、昭和46年には生田区、兵庫区、長田区の1114工場と公害防止協定を締結して公害対策を強化してきた。しかし、地域住民の公害への懸念は大きく、新たな工場の立地などに伴い、長田区南部工業地帯の大気の状況を補完的に監視するため、昭和47年、苅藻通6丁目苅藻小公園内に苅藻大気観測所を設置した。その後、浜添公園開設後、そちらに移管された。

当該観測所での測定項目は、当初、二酸化硫黄(SO2)及び窒素酸化物(NOx)、平成12年度からはこれに加えて浮遊粒子状物質(SPM)の測定も行ってきた。1970年代の測定結果では環境基準の超過が見られたが、その後、各種公害関係法令の整備等による公害対策の結果、大気汚染の改善が進んだ。このような大気環境の変化を踏まえ、平成193月末をもって苅藻大気観測を廃止し、同時に測定も中止した。

2.観測所が地域で果たした役割

苅藻大気観測所が立地する苅藻地区は、長田区の東南端、臨海工業地帯の一角に位置し、昭和40年頃は市内の代表的な住工混在地区であった。この頃は、ばい煙、騒音、運河の水質汚濁など多くの公害が集中し、環境の悪化は著しいものであった。大気汚染による体調不良も顕在化しており、通称「苅藻ゼンソク」と呼ばれる症状が多くの住民にみられた。このような状況の中で、地域住民は公害追放に立ち上がり、各種の運動に取り組んだ。工場との協議や協力要請、苅藻ゼンソク実態調査、公害防止対策勉強会など、様々な取組が行われていたところへ、昭和47年には苅藻大気観測所が設置され、大気汚染の状況を科学的に観測できる仕組みができあがった。観測所での測定結果は公害政策へ反映され、住民運動とも相まって地域全体の公害対策への意識は高まっていった。苅藻大気観測所は、大気観測を行うだけにとどまらず、地域の住民、企業に測定データを提供することにより、地域全体として公害防止に取り組むための根拠となり、また、取り組みの成果を示すものとなったのである。

3.今後の役割

(1)地域の遺産として

昭和40年前後は著しかった苅藻地区の大気汚染も、各種の公害対策により改善され、現在ではその当時の状況をしのばせる物はほとんど残されていない。第2項にあるとおり、公害追放運動は住民、企業を含めた地域全体として取り組まれていることから、当該観測所は地域運動の一部といっても過言ではない。また、公害追放運動に端を発して、まちづくりを地域で考える機運が盛り上がり、現在の「住民主体のまちづくり」へと発展した。苅藻大気観測所は、それぞれの運動の物的な手がかりであり、当該地区の歴史を語る上で極めて重要である。よって、地域としては、大気観測所の存在価値を高く評価しており、今後は、地域の文化遺産として保存していく。

(2)環境教育施設として

当該局舎を現地保存することで、過去の公害について、どこで、どのような施設で汚染状況を測定していたのかを示すことができるのは勿論のこと、局舎内に公害が著しかった頃の測定データや、公害追放への取り組み内容等を適切に展示する。これらを、まちづくりに関する地域での取り組みに利用し、地域の活性化、地域住民の環境保全に対する意識の向上等に役立てるものとする。

4.教養施設として

当該地域にとって、苅藻大気観測所は、建築物としての利用価値は大きいものではないが、その存在価値は歴史的には非常に大きなものである。また、環境学習教材、陳列館的な役割を持たせることにより、総合的には教養施設として機能するものである。

(神戸市環境局資料)

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コメント

真野まちづくりの原点とも言うべく『苅藻大気観測所』の地域への移管披露式開催、おめでとうございました。
 行政側から見れば、過去の汚点は早く消し去りたいことでしょうが、やはり日本最長のまちづくりを実践している真野まちづくり推進会からの要望でもあるし、“過去に学び”そして“未来に望みそして臨む事”が必要であるという観点からの決断だったと思います。真野地区および神戸市双方にもエールを送りたいと思います。
 まちづくりのパイオニアであり、トップアスリートの“真野”の活動の原点が実は、公害追放から始まったことが良く分かりました。そのスピリットは脈々と受け継がれ、阪神淡路大震災そして一昨年の暴追運動へと続いているのですね。
  大海へと注ぐ川の源流は、一滴の水から始まるのでしょう。ただ流れていくだけのようですが、その間に、仲間(水)を増やし、田畑や緑を潤し、水生動物の命を育む。私たち人間の命をつないでくれる。まさに、真野のまちづくりにオーバーラップします。
 真野のまちづくりの“原”点が今なお営々と力強く受け継がれている真野の“源”点でもあろうかと思います。
 末永いご活躍とスタッフの皆様のご健勝とご多幸を祈念しています。

投稿: コツコツ | 2008年10月 3日 (金) 00時43分

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